謹訳平家物語読み終わり記念ブログ

妹の金であん肝を食いました

アンビバレント

大島渚アンビバレント、というコラムを読んだことがある。

生まれ育った京都に対して嫌悪と愛情を感じていたようである。

 

それを読んだとき、ひどく安心した記憶がある。嫌悪と愛情は同居していても大丈夫なんだ、と。

それは私が父に対して抱いている感情と同じだからだ。

 

父に対する感情をどこかに吐き出そうとしても、ここではない、ここでもない、と思ってしまってずーっとずーっと長い間悩んだけれど、もうここに書いてしまおう。

仰々しく書いているけど、きっと、こういうアンビバレントな感情を抱いているのは私だけでは無いと思う。

 

父は、私が物心ついた頃からエヴァンゲリオンスラムダンクをテレビでずーっと観ていたと思えば

釣りに出かけて魚を釣ってきたり、休日になれば私と兄弟を連れて色々な所へ連れていってくれた。

目一杯愛してくれている、と思った。

ただ、幼い私がコップのお茶をこぼしたり、冷蔵庫を開けっ放しにしているとそれはもう怒鳴られた。叩かれたこともある。

休日に出かけても必ず怒鳴る。

 

家族でディズニーランドに行った思い出も、メリーゴーランドと共に父が怒鳴る顔を思い出す。

 

昭和の父と昭和の母に育てられた父だから、仕方ないことだろうと今は思うけれど。

 

小学生の高学年や中学生になった時も相変わらず父は休日になると色んなところに連れ出してくれたが、その頃にはもう休日が来るのが嫌で嫌で仕方がなかった。

必ずヘソを曲げて怒鳴り散らす大人がいることがわかっていたらそれはそうだろう。

 

私も些細なことでカチンと来る瞬間がよくある。父の血が流れているな、と深い諦めの感情と自己嫌悪が襲ってくる。

 

高校生、大学生、そして大人になり、友人や1人で行動できる自由さ、本当に幸せである。今ももちろんそう思っている。

 

この頃の父は、休日にただひたすらに録画したドラマとアニメを観ている。

一度母に、「どうしてあんなにテレビを観るの?異常だよ!」みたいなことを言ったら

 

「おばあちゃんが厳しくて、小さい頃は全然テレビを観せてもらえなかったんだって」

 

と言われた。

その瞬間、同情するというか、ああ、私と一緒なんだと思った。

 

先日、大好きなランジャタイを生で観た後、父が車で駅まで迎えに来てくれた。

 

「本当に最高!」「ランジャタイが実在したの!」「夢みたいだった」「もう遠い夢なのかな」と熱っぽく父に語ったら

 

「そりゃそうだろ」「もう現実だよ」「はい現実」とかなり萎えることばかり言ってきた。

 

また少しの怒りと深い諦めの感情がくると同時に哀れに思う感情も沸いた。

 

ずーっと母に否定されてきたんだろうな、と。

 

祖母はそういう人だった。

 

私はただ曖昧に微笑んで、窓の外に広がる片田舎の景色を無言で眺めて時間が過ぎるのを待っていた。初めてのランジャタイのライブの余韻にただ浸ることにして。

 

前に一度だけ、どうしても納得ができず、怒鳴る父に対してこちらも怒鳴りかえして応戦したことがある。

私がしつこく言い返していたら、父が「もう沢山だ!」と部屋を出て行ってしまった。

スッキリしたと言えばそうなのかもしれない。少しだけ、幼い私の仇をとれたのかな、と思った。でも、虚しかった。

 

この輪廻を断つのは私自身だと強く自分に言い聞かせている。あなたのことは大好きだけど戦っていくよ!どこまでも。